FM TOWNSの時代

とある炎上系Youtuberがアクセス数目的か「PCエンジン知名度のおかげでNEC製PCが普及した」(注:PCエンジンは8年間でシリーズ機通して通算590万台のマイナー機、たいして当時のNEC製PCはPCエンジン発売以前に市場を席巻)というトンデモ論を上げていることが一部で話題になっていた(炎上でのアクセス数稼ぎが目的だと思うので元URLは貼らない)が、その時に同時に

そしてFMタウンズの時代になると家庭用ゲームハードが台頭PCゲーが衰退しました これも常識ですよ・・・

という更にトンデモ話を飛び出していた。FM TOWNSは小学校時代にリアルタイムで触り自分のコンピューティングに多大な影響を与えたPCであり、今でもその情報を残そうとしているが、少なくともFM TOWNSは当時のPC市場では殆ど流通していないマイナーハード、シリーズ機で出荷台数50万台の記録が残っているものの殆どが小中学校に使われもしないのに1円入札によって無理やり文教用として出回った機体しかないと思われ、出荷台数15万台のX68000以上にハードやユーザーの現存数は少ない機種だ。

マニアックなTOWNSユーザーだから言うけど、FM TOWNSの時代なんか一度もきたことはない、いいね。(はい)

でも、世界初の32ビットCPUによる32ビット環境&CDドライブ標準搭載PCというだけでなく、世界初の(ROMをそのまま読みこんで実行するインタプリタ式の)ファミコンエミュレータが1990年に誕生した機種だったり、アフターアーアーみたいなしょうもないアーケード移植だけじゃなくCDの大容量とPCM音源を生かしてアニメーション再生を行う「オルゴール」みたいなオリジナルタイトルも出てたり、ボクセル表現のマップを縦横無尽に飛び回る「Sky Duel」みたいなものがフリーゲームで発表されていたり、と一部のソフトメーカー&ユーザーには活気が満ち溢れていた素晴らしいPCだったんだぞ。

と、クソどうでもいい話をあくまでも当時の1ユーザーが20年以上前の思い出話として残しても記録としては残らず信憑性が乏しいと思われるので、Windows 95(日本版は1995年11月発売)に伴い急激にTOWNS需要が減少し市場の終焉と共にこちらも休刊となってしまった当時のFM TOWNS専門誌「Oh! FM TOWNS 1996年2月号(休刊号)」に掲載されていた「どこまでがウソかマコトか!?恐怖の覆面座談会」(p.108-116)という当時TOWNSを広めようと奮闘していたライター達の1996年当時の目線から、FM TOWNSアーキテクチャが終わりを迎えTOWNSの何が問題だったか、そしてたられば話を語る掲載から一部抜粋し引用。OCRと一部目視による修正で表記抜けや誤字などがあるかもしれないので注意。

初期のFM TOWNSはどのようなものを想定していたのか、発売中止となってしまったTOWNS版R-TYPEについてのちょっとした情報、当時の富士通の販売戦略のまずさや的外れな経営方針など、FM TOWNSのコンピュータ史を研究している人(いるの?)の参考元として、ゲーム機が台頭したからPCゲーム(FM TOWNS)が衰退したという頓珍漢な説、またはそれに準ずる物を唱える人に当時の人間の証言としてそういう状況ではなかった(PC販売会社そのものの自滅やWindowsの台頭が原因)というデータとして掲示する目的で有効なはず・・・かと思う。

司会: 本日は, 現役, OBの本誌協力スタッフ, ライターのみなさんにお集まりいただき,TOWNS登場以来の7年を語っていただくことにいたします。前もってお断りし ておきますが,現在, すでに一般企業等に就職してご活躍中の方もおられますので, 掲載は匿名にて行います。
D: おっ, 覆面座談会ってわけ。 いいねえ。 やっぱ, 休刊号はこうでなくちゃ。
A: この間, レジュメ届きましたが, テーマ は, 「もし、TOWNSがこれを実現していたら」でいいんですか。
司会: そうですね, まあ, 思い出話をつらつらと,でもいいのですが,せっかくですから,できればもう少しアグレッシブに。 
E: ハードとソフトとか, ジャンル 区切ります?
B: 総論として, 先に, 背景というか、時代を考えてみるというのはどうでしょう。
TOWNS, その時代
A: 時代 ?
B: というのは, TOWNSというのは、60年以上続いた昭和から平成に元号が変わったとき,また, バブル経済の最盛期からその崩壊後, PC-98プラス一太郎文化のピークからDOS/V機のシェア伸長, といった具合に,短いながらなかなか波風の高い時代の谷間を縫うように歩いてきたと思うんです。
D: バブル崩壊って、いつごろだっけ。
B: 1991年の頭には,もう「バブル崩壊」 と いう言葉が新聞をにぎわしていたように記憶しています。 TOWNSが登場したのが年春ですから,次の年にはもう経済がほころび始めていたということですね。
C: 確か初期には68000使った試作機が没になり,仕様では80286のホビーマシンってことじゃなかったでしたっけ。
D:286! そりゃ寒い。 ちっともバブリーじゃない。
A: OS/2が286をベースにしてた時代だから、わからないでもないけど、さすがに不足だよね,286じゃ。
B:286に、色や音関連はすべてオプション にして,廉価なゲームパソコンのような性様だったようです, 伝聞ですけれども。 ところが, アスキー西社長の 「CD-ROMを付けては」というアドバイスを受け、経緯は不明ですが180度方向転換,当時としては最速のi386搭載,スプライト,多彩な画面モード,パソコンレベルでは最高水準の内蔵音源と,一気にお大尽なマシンに変貌してしまうんですね。

 

~中略~

 

但:CPUに80386が採用された理由は当時としては最速なのもあるが、「CD-ROMを付けては」というアドバイスをした西氏が「MS-DOSWindowsとの互換性」も助言していたことにも由来している。FM TOWNSは同社FMRをベースとしており、その標準的なOSはMS-DOSということでFMRのソフトがある程度動く(がコンソールプログラム自体はTOWNSに組み込まれていないので別にMS-DOSを購入するかフリーの互換コンソールを動かす必要あり。TownsOS V2.1から標準でコンソールが付属。)ことはソフトが少なかったTOWNSにとってメリットでもあったものの、Windowsが動くのは結果的にWindows(が動くDOS/V機)への移行を早めTOWNSであることの意義を薄めていく原因なのも否めない。

 

バブリ~エブリバディ

C: 発表当時は,なかなかすごい資本や人材投入で,技術屋として,傍目に見ても,うらやましいものがありましたねえ。 
A: 初年度の宣伝費が90億円という噂もあったし, ソフトハウスへの開発, 買い上げ援助も力が入っていた。東京ドームでのフ ェアも, 1989年は春, 秋と連発。
司会: 編集部もドームにはブースを出展, デモやプログラム配布サービスでにぎわいました。
E:イメージガールの南野陽子が、春のドームのフェアを当日になってドタキャンという事件もありましたね。
C:そうそう、確か, カンボジアから帰って来る日程を、事務所が間違えていたとかいう話でしょ。
D : ナンノがカンボジア? 何しに行ったんだ。
C : 結果的に富士通はやや落ち目だった南野から昇り調子の宮沢りえに切り換えることができた。それも、わりあい安い時代に契約できたんじゃないかな。
司会: 当時は, 宮沢りえというと事務所やりえママが強くて,雑誌のプレゼントコーナーに富士通の宣伝用ポスターの写真を載せることもできなかった。 それで,「ナウ プリンティング」。
C:それは知らなかった。
D : で, りえがヌードになる直前に観月ありさにさっさと切り換えってかこのへんは妙についてる。
C:でも、キャンペーンガールの起用は巧ても、CM自体は伝統的にヘタ。広告代理店業界でも、いったんOKが出た後、それまで見たこともない偉い人が出てきて細かく口をはさむというので有名だそうですよー。 TOWNSのテレビCMでも、やたらいろいろなソフトが画面に出てきたでしょ。 あれは、どうもそういう背景。
E: その点、斉藤由貴とバザールでゴザー ルのNECは巧かった。少なくともPC- 8801が現役のころは、CMの作り手側がマニアの心を理解していた。
A: その富士通が,いまやタッチおじさんで、堂々広告批評のTVCM賞の2位。 
D : ああ, TOWNS, 不憫な奴。
B: バブリーな企画といえば、「夢募集」という、アイデア, プログラムコンテストが ありましたね。

 

~中略~

 

 

やっぱりCD-ROM

司会:ハードウェア的なほうを先にざっと並べておきましょう。まず,「初代のCD-ROMがもう少し速ければ」
A:それ、 僕が書いたやつね。 TOWNSってどうも,補助記憶装置はCD-ROMだけ,みたいなイメージが先行しちゃったでしょ。それなのに,当時のCD-ROMじゃ将来性のあるメディアだったのに、 きちんと評価されなかった。
E:いまや, CD-ROMが付いてないマシンなんて持ち運び用のノートパソコンくらい,雑誌付録もFDよりCD-ROMのほうが多いくらい。
A:まだ倍速CD-ROMなんてない時代だから,いってもしようがないんだけど、そ キャッシュとか工夫してもう少し最初から頑張っていれば,イメージも違ったんじゃないかな。
C:MOとCD-ROM, どっちがいいかみたいな無益な議論もあった。比較するようなメディアじゃ,全然ない。
A:そうそう, CD-ROMというのは,あくまで主眼は配布メディアなのね。 安く大量にプレスできることにポイントがあるのに,MOとの比較で書き込みできないことばかり妙に指摘され続けた。 TOWNSユーザーならHDやMOは内蔵でも外付けでも使っているのに,TOWNSはCD-ROMでソフトをプレイするだけ, というイメージでいじめられた。
司会:白TOWNSになって、静かなMO内蔵モデルも出ましたしね。 実際にTOWNSのユーザーになってみれば、そのあたりは明らかなのに,どうも損なイメージが先行したのは確か。
E: CD-ROMといえば・・・う~ん、これはいっちゃっていいのかな, ダークな話だけど、CD-ROMソフトって, コピーできないでしょ。
A: まあ、小さくてHDに簡単に落とせるのもあるけどね。 CD-DAとか使ってたらもうどうしようもない。
E: TOWNSが出たころは,まだ違法コピ ーを暗黙で認める貸しソフト屋とかが残っていて、メジャーな機種のユーザーでは、ソフトを1000本持っている,なんていうロクでもない話もそれほど珍しくなかった。
D : そういや、製品版1本も持ってない, なんて胸張ってるのもいた。
司会: 周囲に同じ機種のユーザーが山ほどいて、ソフトを山ほどコピーできるなら、ついふらふらとそっちへ走る気持ちもわからないではない。 ただ, もしTOWNSのシェアがもう少し大きくなって,よしんば違法コピーが蔓延したとして、そういうユーザーが増えても、多分TOWNSのTOWNSならではの部分は発展しなかったんじゃないのか、と思うのだけど,どうでしょう。 
A: それはいえる。
C: 第一, ソフト1000本なんていっても今なら雑誌の付録CD-ROM2枚ですよ 2枚。
E: 1バイトあたりのアプリケーション単価が、この数年で本当に下がってしまった。
D: 価格破壊, ちゅーか。
A: 今なら違法コピーに走るより,正規にユーザー登録して,サポート受けるほうが何かと得じゃないかなあ。
B: そもそも今時のマシンは,本体買ったら、最初から一とおりのものはインストールされてますしね。
C: コピープロテクトなんて, 死語になっちゃうんですかね。

 

~中略~

 

但:初代FM TOWNSのCD-ROMドライブは標準速で秒間150KBの転送速度、しかも読み込み指定から実際にデータが転送されてくるまでのシーク時間は5秒?(正確には非公表。二代目では3秒に改善されたということなので少なくともそれ以上の時間となる)以上待たないといけず相当遅い。当時はCD-Rというものも一般向けには存在せず完全に読み込み専用メディアとなっており、音楽CD再生をしようにもTOWNS自体にはそのようなものはシステムROMで組み込まれておらず、別売であるTownsOSシステムディスク(が、これも初期バージョンにはなく次バージョンになってからようやく追加)内のCDプレイヤーアプリを実行、TownsOSシステムディスクをドライブから取ってから音楽CDを入れ替えないといけないという手間があった。

 

ゲームあれこれ

F: すみません、遅れました。
D:遅れた人が,ここのお茶代持ち。
F: ええ~っ, 飛行機が遅れたんですよう。
A: F君, 座談会のために,わざわざ東京まで飛行機で来たの。
F: まさか。 仕事ですう。
司会: ゲームレビューベテランのFさんも 来られたことだし, ゲームソフトの話に移 りましょうか。
E: R-TYPE!
D: 出なかったね。 あれはさ、何だったの。 
B:単に, ソフトハウスがTOWNSに力のあるプログラマを振り分けなかっただけじゃないんですか。
A: 確か、けっこう早い時期のドームのフ ェアではデモが動いていた。
D: 静止画じゃなくて?
B: R-TYPEは, 発売されなかったことより、いつまでもいろいろな雑誌に「発売時期未定」 と載り続けたことのほうが問題。 なんとなくTOWNSそのものに悪い印象を与えましたよね。
D : 早々に諦めて撤退すりゃあよかったんだ。うちなんかもそう。○○○にジャンル
で負けたら, すぐ撤退。
司会: 工場ごと撤退だものね。
D : 司会者がそういうこといっていいのかあ。
B: まあまあ。 R-TYPEもそうですが,横スクロールシューティングゲームがあまり出なかったということが,ゲームファンを今一つ巻き込めなかった原因という気がします。
F: コナミの参入がなかったのが、地味に見えたっすよね。
A: データウエストの「ライザンバー」はオリジナルで、なかなかよくできてた。
E: 敵が固い。 中級者向けレベルなのに, 横シューはあれしかない,というのがちょっと痛かった。
D : あと、問題は,やっぱり, あそこだね。 あの会社。
F: どうして、僕のほう見るんですかあ。
D : そりゃあ、もう, 遅れてきた以上は, 責任をとってもらう, ちゅーか。
F: しくしく。 ええと, そうですねえ セガのソフトをCSK総研が、 でも、なんていうか、本当にゲーム好きな人から見たら、 少しずつ甘かったですねえ。
A: CSKのゲームは,写真映えはいいんだよね。静止画写真なら,全然負けない。
E: スプライトをたくさん動かしても, スイングしないんですよね。 技術力はあった のかもしれないけど, ゲーム屋ではなかった、みたいな。
D : そういうのは, ゲーム屋として技術力がなかった、っていうんだぜ。

 

~中略~

 

但:FM TOWNSR-TYPEがどのようなものだったか見てみたかったが、実現は容易な事ではなかったと思われる。というのもFM TOWNSは横スクロールが苦手な機種R-TYPEが開発中止となってしまったのも横スクロールシューティングが極端に少ないのもここからきていると思われる。スプライト機能はアフターバーナー開発スタッフからの要望でTOWNS開発途中になって実装されたということで、それに由来するように他機能との整合性が取れていない、1ドット単位で横スクロールできるようにハード的にはなっていないとか、初期はFM TOWNSアフターバーナーを見た富士通スタッフがアーケードのゲームと一緒だ!と驚いた(驚くことに驚き)という話もあり、スプライトやゲームパッドを標準搭載してゲーム用途を意識したパソコンの割には富士通自体はゲームの事を一切知らないというここもまたチグハグさが目立つ印象。

 

足を引っ張るもの

C: やっばり とどめはWindowsに刺されたというか。
E: NECだって 「せめて1998年まで持たせて98フェアをやりたい」くらいのものでしょう,きっと。
D: それで精一杯。 アップアップよ。
B: とどめはともかく, 日本のMacintoshとして生き残る道はあったと思うのですけどね。ヘンなソフトもたくさんあって、 ユーザーもそれなりに対応して,土壌はあった。少なくとも泉木さんが例の「TOWNSはすでに海である」の名言を書かれたころは、それに期待できる雰囲気があった。
D: あれ、まだバブルのころじゃないの。
B: それはそうなんですけど。
A: 日本のMacになるには、サウンド環境が足を引っ張ったよね。
E 結局, 最後までまとまりませんでしたね。 音回りは。
A: グラフィックのほうは、まだ, 純正アプリが TIFFJPEGを推奨して, F- BASIC386やTownsGEARもそれを使えて フリーソフトウェアもそれにならって、そ れ以外のフォーマットからはコンパートで きる,という,とりあえずメーカー主導、ユーザー納得の環境ができた。 16色から フルカラーまで。
C: ドローは弱かったでしょ。
司会: ドローはビジネス系として別扱いしたほうがいいのでは。 結局, TownsOS上では一太郎Excelといったビッグネームと競えるだけ力のあるワープロ表計算, データベースシステムは出なかったわけだし。 
A: で, 音回りね。 まず, 形式が統一されな かった。 F-BASIC386やTownsGEARでは、 EUPが作れなかったし、途中までは鳴らすこともできなかった。ツールも,ミュージカルプランが初心者向けに楽譜入力型を出してくれたところまではスムーズだったのに, 純正MIDIシーケンサが、例の出す出すと狼少年のVision
E: あれ、ひどかったですねえ。 出します出しますと何年も公言し続けたあげくに、い つの間にかWindows汎用版に化けてやっっと出荷されたときにはMac版のほうが 次の世代に移っているものだから、ミュー ジシャンからもさほど相手にされなかった。
省略
D : マエストロがいなかったんだろ。
B: うーん、なんだか、本当に市場を見ていない感じですね。富士通の悪い癖だと思うのですが、ちょっと考えれば「誰がこういうものに万単位のお金を出すだろう」「これを出したらあれと共倒れになるぞ」とわかりそうなものに、唐突に労力や費用を掛けてしまうんですね。 
E: TEO.
D : なるほど、やっぱ、そうくる。 
B: TEO の場合、担当者の方の発言を見ても「技術的にいろいろやってる」 みたいなことばかりで、肝心の、それを買った人に何を提供するかがまるで見えてこない。需要がないとまではいいませんが、どうせ全国でも干とか二千とかのオーダーでしょ? 
F: うひ~、それであの豪華パンフに販促CDですか。ウチの会社なら担当者の首が30回くらい飛んじゃいますよ?。
C: あなたのところは、ベストセラーたくさん出してるから。
F: そんなことないですよう。
A: MARTY TEOと似たようなところがあって, RGB信号をNTSCにコンバートするいいチップができた、こんなにいいチップだからこれを使えば売れるに違いない、みたいな楽観論が裏にあった。
司会:MARTYは,あの値段でも赤字覚悟だという話だった。記者発表会見で、どうですかと感想聞かれたので、おもしろいマシンだから、2千からうまくすると1万は売れるかもしれないといったら、それじゃ 困ると怒られてしまった。
E:でも、結局、そんなものでしょう。 
C: あれがあの値段で1万台売れれば万々歳だと思いますよお、私。
司会: 当初の定価が98,000円。 1万台というと、要するに末端では10億円の大商いということでしょ、 値引きは考えないとして。 当時でも決して大ヒットしていたわけではないTOWNSの、その最低水準のもの、しかも拡張性の全くないものに10万円、誰が払うか、買わせるなら何が必要か。 そういう検討はなかったような気がしますね。 
D : その点じゃ, 富士通テンのCAR MARTYのほうが,ちゃんとターゲットと付加価値ってものを押さえている。 俺も愛車に付けたかったもんね。
C: しかも、MARTYって, HR が出た直後でしょう。私の記憶だと, 486を積んだHRと, その前に出ていた場所をとらないUXはまあまあのヒットだった。それなのにMARTYのおかげで、テレビCMとか, 富士通の広報活動が分断されてしまいましたよね。
A: あと、ちょうどこのころ, 富士通の決算が大幅赤字だとか新聞で話題になって,各雑誌やソフトハウスへのマシンの貸し出しも一気に渋くなった。 HRとURは, 製品版が編集部に最後まで届かなかったので、ライター, 編集者の私物で記事書いた。 
F: う~ん、まあ, ソフトハウス間では有名な事件なので、 いっちゃいますけどお, そのころ, あるパソコン雑誌がマルチメディア特集をTOWNSで組もうとしてた。 でもって振り返ったら, 編集部にTOWNSがない。 富士通に貸し出しを頼んでも、モノがないからと出てこない。 それで、しかたなく98MULTiで特集を組んだ。 しくしく。
D : ちゃー、悲愴。

 

~中略~

 

但:テレビに繋ぐ簡易TOWNSというべきゲーム機「FM TOWNS マーティー」への言及。時折、「FM TOWNS MARTY、3DOピピンアットマークはマルチメディアという言葉が流行ったために生まれた」という主張が出ることがあるが、そんなもんじゃなくマーティーに限って言えば「ダウンスキャンコンバータLSIが作れたからその製品を組み込んだ別の製品を作ろう」という戦略すら立てずに生まれたプロダクトなのだ。仮にFM TOWNSがなくてLSIだけ作れていた世界線があったら、FMRに組み込んで「リビングがオフィスに!」なんて宣伝していただけだろう。また、このマーティーの存在がFM TOWNS市場そのものにマイナスとなっていた面も伺える。

これもトンデモ論の一例だが海外では「FM TOWNS マーティーは過小評価されたゲーム機だ」なんて主張している人がいるがそんなことは一切なく、拡張性はない、ゲーム機としては向いてない性能のFM TOWNSがベース、価格は同世代のゲーム機の2~3倍で性能は4分の1以下、なんていう誰に売り込むのかわからないゲーム機だっただけだ。

 

さらば愛しきTOWNSよ

司会: さて、聞いたところによると, 富士 通内部でもTownsOS関係の開発部隊はすでに事実上解散、Windowsやネットワーク 関係などに再編成ということだそうです。
A: TOWNS オリジナルアーキテクチャは「未来への成長」という意味では、停止した, はっきりいえば 「死んだ」 わけ。
司会: そのあたりについて、何か一言。 
D: やっぱり、うっかり Windowsが動いてしまったのが運の尽きだった。そういう俺も使ってるけど。 MS-DOSWindowsへの逃げ道があるから、危機感のないままずるずる後退した。
E: アマチュアプログラマの開発マシンとしては、おもしろかったと思いますよ。 今、 会社で Windowsでいろいろ仕事させられているのですが、制約が多くてけっこういらいらさせられる。おまけに, Windows95 上なら初心者でも使いやすい。なんてマスコミが連発するから,以前なら触らなかった上司まで手を出す、口を出す(笑)。 
A: 個人が小さなプログラムをこしらえてマシンと一体感を味わう。そういう文化が X68000 や TOWNS とともに滅びてしまうようで、ねえ。 もうちょっとなんとかしたい。 
B: ただ、TOWNS High C組めてた人って,ほとんど8ビット時代からやってた人ばかりでしょう。フリコレだって、新人の大物はめったに現れない。
司会: 本誌でも、解析記事やプログラム技術関連の記事をいろいろ載せた時期もあったけれど,反響は弱かったですね。弱いというのは、アンケートのよかった記事に選ばれないということももちろんだけど、たとえばAさん、Eさんが発表したアルゴリズムやノウハウが,フリーソフトウェアや投稿作品に反映されてない。技術が点のままで、線にならない。
C: だって、力のある人は赤本1冊ですたすた先へ行けちゃうけど、力のない人はいつまでも待ってるだけなんだもの。
D: メーカーもふらふらしたけど、ユーザーも,TOWNSのTOWNSたるを知らずつーかね。
A: TOWNSらしいソフト, TOWNSならではのソフトはもっと売れるべきだったし、 ウケるべきだった。ちゃんと評価してあげないと, ソフトハウスだってカスミを食べて生きていけるわけではない。
E:後半の数年は、海外移植モノや98からの移植がほとんどで、出来はともかく,最初の1,2年に比べて, わくわくするようなアプリはめったになかった。
B:その意味では、やはりバブル経済の落とし子であり, バブルとともに本当の持ち味がはじけてしまったマシンだったように 思います。
D: なんちゅーか、最初のころは、世間に知られてないいい居酒屋があって、テーブルや椅子は奇抜だけど落ちつくわ、酒は幻のワインだわ、でいい気持ちでいたら、そのうちMSと描いた旗もった団体さんが押し寄せてくるようになって、気がついたら酒が水っぽくなって、 肴は安くなったけど生焼けで、ここがあの同じ店かあ,とかいっているうちに店の名前がWintel というチェーン店の1つになってた。
A: 黙祷。
B: 右に同じですね。
司会: 今日は、お忙しいところ、ありがとうございました。・・・・・・さて、それじゃ、今月の原稿まだの人、バンクへ帰ります。さあ、今日も朝まで、頑張ろ一っ。 
一同:・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

但:ソフトが作れるパワーユーザーが少なかったという話。これも富士通の販売戦略がまずかったという印象があって、解析・プログラミング記事を載せても反応が薄かったとあるが、この手の記事がよく載っていた1990~1992年頃はFM TOWNSの開発環境が相当貧弱で、記事はC言語アセンブラを使って組むことを前提にしているのに、純正のC言語コンパイラ(High C)やリンカを揃えるとなると12万円を超えるという高価なものでユーザーが手軽に手を出せるようなものではなかった。1993年になってようやくコンパイラ・リンカ・ライブラリをセットにして4万円の廉価版が発売されたものの、この頃には記事の反応が薄かったためかTOWNSのディープな記事は殆どなくなっていき代わりにTOWNSで動くWindows 3.1の話題が載るようになっていった。更に94年・95年と続くとDOS/V機の話まで出てきてFM TOWNS専門誌とはなんなのか、となっていく。

フリコレ(多数のフリーソフトをCDに入れて市販していたもの。パソコン通信しかない時代なので当時のTOWNSユーザーに重宝された)についても、フリコレ3・4まではOh! FM TOWNSの技術記事のサンプルが一緒に入っていたもののそれ以降は収録されることはなく、技術テクニックを知りたい場合にOh! FM TOWNSのバックナンバーを探してこないといけなかったのはまずかったと思う。同じ内容でもいいからフリコレ毎号に描画アルゴリズム・CRTCレジスタを制御して特殊画面を出す・スプライトの挙動といったデータやサンプルプログラムを入れておけば技術承継が進んだように思う。またフリーのC言語コンパイラGNU C」(これもTOWNSではCDという媒体の利点を生かし安価に単体発売していた)もとりあえず入れておけばC言語の学習をする人が多少なりとも増えていたかもしれない。