ゲームが文化として認められるとき、新たなるサブカルチャーを文化として認めることが出来るか

新たなるサブカルチャーが誕生し、そのサブカルチャーが文化と認められるのは人間で言えば「成人した」という事だと思う。同時に「成人した」ということは新たなる世代の文化が誕生するという事なのかもしれない。
そして新たなる文化が成長していくとき、自分も含めゲーマーはその新たなる文化を認めることができるのだろうか。自分たちの文化は勢いを失い、「定年」を迎える可能性が出てきて影響力が下がるとしても。
文化と認めたくないばかりに、「○○なんかやっていると馬鹿になる」「子供に悪影響」なんていうどこかで聞いてきたような言葉を発してしまうかもしれない。仮に発しなくても、心の底では「何をそんな下らないことに一生懸命になってるんだか」と思うんじゃないだろうか。過去、自分たちがゲームを文化にしようと奮闘して上の世代から同じことを思われていたにもかかわらず。


もしかしたらゲームが文化として認められた未来、どこかのゲーム会社のCEOやデザイナーが政治家になっているのかもしれない。小説家や映画スターが知事になっているかのように。
そんな時、新たなる世代の文化が作り上げた今までのメディアには無かった暴力表現や性表現にいちゃもんをつけるかもしれない。そして新世代から「貴方たちが作ってきたものはなんなんだ!?」と批判され、こう言うのかもしれない「我々の作品は世間に認められた文化だ」と。


果たして40年後、ゲームは文化として世間から認められているのだろうか。そしてその時、自分は今のようにまだゲームに対して情熱を持っているのだろうか。情熱を持っているあまり、新しい文化を絶対に認めようとしないのかもしれない。過去、同じような目に遭わされたことを忘れて。