ステレオタイプな洋ゲーの理想像

GAME LIFE - Hitman: Codename 47 再訪
今の洋ゲーは良くも悪くも「和ゲーらしくなった」からな。色々と(ある意味)斬新過ぎたりバタ臭かったり強烈なインパクトを残し、一生プレイヤーが忘れることが無いゲームっていうのが無くなってしまったけど、妙に小奇麗で深く考えなくても遊べるゲームが増えた。
話がずれるけど、和ゲーのシェアが落ち込んでいる原因は「洋ゲーが和ゲーらしくなった」っていうのが大きいのかも。日本のゲーマーや開発者は「和ゲーらしさを出していれば受け入れられる」と言っているが、一から十までプレイヤーに操作方法を教えるチュートリアル、簡略化された操作方法、一本道なマップデザイン、垂れ流しのムービー、これらが今の洋ゲーの形である。
「和ゲーはムービーばっかで、一本道で、マンネリで、自由度が低くて・・・」なんて洋ゲー信者が呪文のように唱えていたら、いつのまにか主流はそればかりになってしまっていたという皮肉。


自分が「これが洋ゲーなのか・・・」と衝撃を受けた作品と言えば、FM TOWNS版のアローン・イン・ザ・ダーク

段ボール人間、突然死、よく分からないタイミングで突然流れる音楽、全てが狂気じみてた。
でも、何かよく分からない魅力で溢れていた。